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日蓮(にちれん)画像 日蓮は法華経(ほけきょう)によってのみ人は救われると主張して日蓮宗を開き,鎌倉の町中などで辻説法(つじせっぽう)を行ないました。

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日蓮(にちれん)足跡(そくせき) 日蓮は鎌倉や比叡山(ひえいざん)などで修行(しゅぎょう)を続けたのち,出身地の安房(あわ)(千葉県)で日蓮宗を開いたといわれています。他の宗派を攻撃(こうげき)したりしたため,幕府によって伊豆(いず)(静岡県)・佐渡(さど)(新潟県)に流されました。日蓮が晩年(ばんねん)をすごした身延山(みのぶさん)(山梨県)の久遠寺(くおんじ)が日蓮宗の総本山となりました。

 日蓮は1222年に安房(あわ)(千葉県)の漁師(りょうし)の子として生まれたと伝えられています。17歳のころから鎌倉や比叡山(ひえいざん)などで修行を続け,やがて法華(ほけ)(きょう)こそがシャカの正しい教えであると確信(かくしん)するようになります。そして1253年に故郷(こきょう)清澄(きよすみ)山で「南無(なむ)妙法(みょうほう)蓮華経(れんげきょう)」の題目(だいもく)をとなえ,日蓮宗を開いたといわれています。

 日蓮は鎌倉で布教(ふきょう)活動を行いながら,幕府に念仏(ねんぶつ)の禁止をもとめるなど,他の宗教をはげしく批判(ひはん)しました。それは各教団からの反発(はんぱつ)をまねくとともに,幕府も日蓮を危険視(きけんし)するようになりました。日蓮は伊豆(いず)に流され,その後さらに佐渡(さど)へと流されます。

 流罪(るざい)が許された1274年,元軍(げんぐん)襲来(しゅうらい)についての意見を幕府に述べますが,受け入れられませんでした。その後は身延山(みのぶさん)(山梨県)に入り,布教のための執筆(しっぴつ)弟子(でし)の育成に努め,1282年に亡くなりました。