踊り念仏をする一遍(『一遍上人絵伝』) かねを打ち,床を踏みならして踊りながら念仏を唱える姿は,民衆に開放感と,宗教的な心の高まりをもたらしました。
一遍の足跡 一遍は九州の大宰府で学んだのち,出身地の伊予(愛媛県)や信濃(長野県)で修行しました。やがて「踊念仏」を始めて全国を歩き,布教に努めました。総本山は神奈川県の清浄光寺です。
踊り念仏をする一遍(『一遍
上人絵伝』) かねを打ち,
床を
踏みならして踊りながら
念仏を
唱える姿は,民衆に
開放感と,宗教的な心の高まりをもたらしました。
一遍の足跡 一遍は九州の
大宰府で学んだのち,出身地の
伊予(愛媛県)や
信濃(長野県)で
修行しました。やがて「
踊念仏」を始めて全国を歩き,時宗の布教に努めました。総本山は神奈川県の
清浄光寺です。
一遍は1239年に伊予(愛媛県)に生まれ,10歳で出家してまもなく九州の大宰府へ行き,浄土教を学びました。その後,信濃(長野県)や出身地の伊予で修行するうちに独自の悟りに達し,人は阿弥陀仏の名前(名号)をとなえることによって往生すると説き,時宗を開きました。
そして,全国を歩いて布教の旅を続けるなかで,踊りながら念仏を唱える踊り念仏を始め,民衆に熱狂的に迎えられました。また,念仏札とよばれる木版刷りの絵の札を人々に配りましたが,これもまた救いの証拠として,人々の心をとらえました。このようにして布教に努めた一遍は,遊行上人ともよばれました。1289年,摂津国(兵庫県)で亡くなりました。
浄土教
平安時代に浄土信仰を広めた旧仏教のひとつです。寺や塔の建立,寺への参詣,教典の読誦などを行うことによって往生を実現しようとしました。