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法然(ほうねん)上人(しょうにん)絵伝』に描かれた法然 法然が開いた(じょう)()(しゅう)は,鎌倉新仏教のなかでも最も早い時期に現れた宗教で,貴族や武士に受け入れられました。

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法然(ほうねん)足跡(そくせき) 法然は()叡山(えいざん)(えん)(りゃく)()で天台宗を学んだのち,浄土宗(じょうどしゅう)を開きました。各地で布教を続けましたが,旧仏教側から弾圧(だんあつ)を受け,75歳のとき四国に流されました。総本山は京都の()恩院(おんいん)です。

 法然は1133年に美作(みまさか)(岡山県)で生まれました。荘園(しょうえん)支配(しはい)をめぐる(あらそ)いで()たれた父(漆間(うるしま)時国(ときくに))の遺言(ゆいごん)(そう)になることを決意し,15歳で比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)に入ったと伝えられています。延暦寺で天台宗(てんだいしゅう)(おさ)めましたが,やがて戒律(かいりつ)や寺・塔の建立(こんりゅう)などを重視(じゅうし)する従来(じゅうらい)の仏教のあり方に批判(ひはん)的な考えをもつようになりました。

 そして「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の念仏(ねんぶつ)(とな)えれば(だれ)でも極楽(ごくらく)浄土(じょうど)往生(おうじょう)できると()いて,浄土宗(じょうどしゅう)を開き,その教えを広めました。しかし1207年,旧仏教の圧迫(あっぱく)で土佐(高知県)に流され,4年後に京都へもどることを許されましたが,翌年(よくねん),80歳で亡くなりました。


天台宗(てんだいしゅう)

 平安時代初期に,(とう)に学んだ最澄(さいちょう)が日本に伝えた宗派です。修行(しゅぎょう)祈祷(きとう)やまじないを重んじました。