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栄西(えいさい) 栄西は中国((そう))から禅宗(ぜんしゅう)の一派である臨済宗(りんざいしゅう)を伝えました。また,中国から茶ももたらしました。

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栄西(えいさい)足跡(そくせき) 栄西は比叡山(ひえいざん)で学んだのち,(そう)へ2度渡り修行(しゅぎょう)しました。帰国後,京都で(ぜん)を広めようとしますが妨害(ぼうがい)を受け,博多(はかた)へおもむきます。その後,北条政子(ほうじょうまさこ)の支持を受け,鎌倉に寿福寺(じゅふくじ)を,京都に建仁寺(けんにんじ)建立(こんりゅう)しました。

 栄西(1141〜1215年)は備中(びっちゅう)(岡山県)で生まれました。比叡山(ひえいざん)天台宗(てんだいしゅう)を学んだのち2度,(そう)にわたり,禅宗(ぜんしゅう)の一宗派である臨済宗(りんざいしゅう)を日本に伝えました。京都で禅を広めようとして,比叡山の僧の妨害(ぼうがい)にあったりしましたが,鎌倉では北条(ほうじょう)政子(まさこ)に支持され,(みなもとの)頼朝(よりとも)の1周忌の法要(ほうよう)をつとめました。そして鎌倉に寿福寺(じゅふくじ),京都に建仁寺(けんにんじ)を建てました。また,栄西は『喫茶(きっさ)養生記(ようじょうき)』という書物を(あらわ)し,茶の栽培(さいばい)技術を日本に伝えました。

 以後,臨済宗は武士の精神にふさわしい宗教として,室町幕府や戦国大名によって保護され盛んになります。


天台宗(てんだいしゅう)

 平安時代初期に,(とう)に学んだ最澄(さいちょう)が日本に伝えた宗派です。修行(しゅぎょう)祈祷(きとう)やまじないを重んじました。


(そう)

 中国の王朝(おうちょう)で,(とう)がほろんだのち,中国を支配(しはい)しました。1279年に(げん)にほろぼされました。


禅宗(ぜんしゅう)

 座禅(ざぜん)により(さと)りを開こうとする仏教の一宗派です。6世紀の初めに達磨(だるま)が中国に伝えたといわれ,その後,日本にも一部伝えられていましたが,本格的に伝えたのは栄西でした。