博多(はかた)(わん)(きず)かれた防塁(ぼうるい)石塁(せきるい) その一部が現在も残されています。高さは2.6メートルほどですが,砂丘(さきゅう)上に築かれたため,実際(じっさい)よりもずっと高く見えたと思われます。

 文永(ぶんえい)(えき)後の1276年に,鎌倉幕府は(げん)軍の上陸を防ぐために,博多(はかた)(わん)(福岡県)の湾岸(わんがん)に,防塁の石塁(せきるい)土塁(どるい)を20キロメートル以上にわたって(きず)きました。この建設を命じられたのは,御家人(ごけにん)ばかりでなく,九州に所領のある者すべてでした。石塁の高さは2.6メートルですが,砂丘(さきゅう)の上に築かれたので,海上からは5〜7メートルの高さに見えただろうといわれています。弘安(こうあん)の役のとき,元軍はこの防塁と幕府軍の抵抗で博多上陸をあきらめました。


御家人(ごけにん)

 鎌倉時代,将軍と主従(しゅじゅう)関係を結んだ武士のことです。