(げん)軍と戦う武士 元軍の船上には矢が飛びかい,戦いの激しさがうかがわれます。元軍は海での戦いには()れていなかったため,統率(とうそつ)をうまくとることができず,日本の武士たちの攻撃(こうげき)を受けました(『蒙古(もうこ)襲来(しゅうらい)絵詞(えことば)』)。

 元軍は弘安(こうあん)(えき)のときには,幕府軍の抵抗や防塁(ぼうるい)によって,博多(はかた)(福岡県)上陸をあきらめました。そして海上で台風にあい,大きな損害(そんがい)を受けました。台風ののち,武士たちは博多湾の入り口の志賀島(しかのしま)付近で海上に()かぶ元軍の船に小舟で近づき,長い熊手(くまで)で力いっぱい引きよせ,船に飛び込んだのでした。元軍は海上での戦いには不慣れだったため,指揮(しき)も乱れました。この弘安の役で,元軍は兵士を4分の3失い,撤退(てったい)しました。