ジパングのようす 「ジパング」といわれた日本のようすが書かれています。日本は黄金(おうごん)がみちあふれた(たから)の島のように紹介(しょうかい)されています。こうした話が耳に入って,フビライは日本遠征(えんせい)を決意したのかもしれません。

 イタリアのベネチア(ベニス)の人,マルコ=ポーロは1271年ごろから1295年ごろまでの約24年間,イタリアから当時,(げん)支配(しはい)していた中国へ旅行しました。この約24年間のうち,17年は元の皇帝(こうてい)フビライに(つか)え,元の国内や国外を旅行しました。

 これらのことをベネチアに帰ってまとめたのが『東方見聞録(世界の記述)』です。その内容は,中央アジアのようす,元の皇帝や国内のようす,帰途(きと)のアジア南部の海洋(東シナ海,インド洋)のようすと,わかれています。特に元については当時,ヨーロッパに資料がなかったので,たいへん貴重(きちょう)な報告でした。この中に「ジパング」という名で,日本のことが()べてあり,これが日本がヨーロッパに紹介(しょうかい)された最初の記事になりました。けれどもマルコは日本へ来たことはなく,元にいたときに聞いたうわさ話を記述したようです。フビライが日本との交渉(こうしょう)をもとめた背景には,この黄金伝説(おうごんでんせつ)もあったのかもしれません。