運慶(うんけい) 運慶は仏師(ぶっし)である父康慶(こうけい)とともに,東大寺(とうだいじ)興福寺(こうふくじ)復興(ふっこう)のさい,仏像造りに尽力しました。運慶と父の弟子(でし)快慶(かいけい)らは慶派(けいは)と呼ばれ,武士の時代に合ったたくましく写実的な作品を生み出しました。

 運慶(?〜1223)は,平安時代末から鎌倉時代初期に活躍した奈良の仏師(ぶっし)で,写実(しゃじつ)的で力強い手法(しゅほう)の鎌倉様式(ようしき)を確立し,東大寺(とうだいじ)興福寺(こうふくじ)再興(さいこう)貢献(こうけん)しました。また,その作風は東国の武士にも共感(きょうかん)を与え,幕府は運慶を重用(ちょうよう)しました。

 おもな作品には,快慶(かいけい)らとともにつくった,東大寺南大門(とうだいじなんだいもん)金剛力士像(こんごうりきしぞう)のほか,円成寺(えんじょうじ)大日如来像(だいにちにょらいぞう)興福寺(こうふくじ)無著(むちゃく)世親(せしん)(ぞう)などがあります。運慶は多くのすぐれた弟子たちも育て,その様式は長く日本の彫刻(ちょうこく)影響(えいきょう)を与え続けました。


快慶(かいけい)

 運慶(うんけい)とともに鎌倉時代前期に活躍(かつやく)した仏師で,代表作に東大寺の僧形(そうぎょう)八幡神(はちまんしん)像などがあります。


無著(むちゃく)世親(せしん)

 4世紀,インドに生まれた仏教学者の兄弟(兄無著 310年?〜390年?,弟世親 320年?〜400年?)です。一切(いっさい)の事物は実在しておらず,識別(しきべつ)する心のはたらき(識)の所産であるという唯識(ゆいしき)の思想を形成しました。