承久(じょうきゅう)の乱とその後 承久の乱に勝利(しょうり)した幕府は,朝廷(ちょうてい)方の公家(くげ)武家(ぶけ)の土地を没収(ぼっしゅう)し,西日本にも勢力(せいりょく)を広げました。

 承久の乱では,西国(さいごく)守護(しゅご)の多くが朝廷(ちょうてい)(がわ)についたため,乱ののち,多くの守護が交替(こうたい)しました。北条氏は承久の乱の勝利で勢力を強め,京都周辺にも領国(りょうごく)を持つようになりました。また,幕府は取り上げた朝廷方の公家(くげ)武家(ぶけ)領地(りょうち)を,手柄(てがら)のあった武士に与え,地頭(じとう)にしました。これを新補(しんぽ)地頭といいます。

 承久の乱後,公家政権(せいけん)は,その権限(けんげん)を大幅に削減(さくげん)され,北条氏を中心とする幕府が,天皇の皇位(こうい)継承(けいしょう)にまで関与(かんよ)するような主導権(しゅどうけん)をにぎるようになりました。