(みなもとの)頼朝(よりとも)肖像(しょうぞう) 藤原(ふじわらの)隆信(たかのぶ)の作。実際(じっさい)の人物をきわめて写実的に描く似絵(にせえ)という手法で描かれていて,鎌倉時代の肖像画の傑作(けっさく)といわれます。人物は頼朝とされていますが,近年の研究で別人の可能性が高くなっています。

 源頼朝は,1147年に源義朝(よしとも)の子として生まれました。平治(へいじ)の乱で父義朝が(たいらの)清盛(きよもり)に敗れたのち,伊豆(いず)に20年間流されました。この流人(るにん)生活の間に,北条(ほうじょう)政子(まさこ)と結婚しました。1180年に以仁王(もちひとおう)のよびかけに応じて,平氏(へいし)打倒のために挙兵(きょへい)し,まもなく源氏ゆかりの地,鎌倉(神奈川県)を根拠地として新しい政権づくりをめざしました。そして1185年に弟義経(よしつね)に命じて壇ノ浦(だんのうら)の戦いで平氏をほろぼし,守護(しゅご)地頭(じとう)設置(せっち)して武家政治の基礎を(かた)め,鎌倉幕府を開きました。頼朝は1192年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)(にん)じられました。1199年,落馬(らくば)がもとで死去(しきょ)したといわれています。


守護(しゅご)

 1185年に義経追討(ついとう)を名目に国ごとに設置されました。有力御家(ごけ)(にん)(にん)じられ,諸国の軍事・警察などの仕事にあたりました。


地頭(じとう)

 1185年に諸国の公領や荘園(しょうえん)に設置され,土地管理・年貢徴収(ねんぐちょうしゅう)治安維持(ちあんいじ)などにあたりました。