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御恩と奉公

封建(ほうけん)社会 将軍(しょうぐん)御家人(ごけにん)が土地を通じて主従関係を結ぶ制度を,封建制度といいます。

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「鉢の木」からの引用
御恩(ごおん)奉公(ほうこう) 『(はち)()』は,武士の御恩と奉公に(もとづ)主従(しゅじゅう)関係を描いたもので,(のう)演目(えんもく)の一つです。「鉢の木もの」として好まれ,人形(にんぎょう)浄瑠璃(じょうるり)歌舞伎(かぶき)でも演じられました。

 支配者(しはいしゃ)家臣(かしん)に土地を分け与え,家臣がまたその従者(じゅうしゃ)に土地を分け与えて主従(しゅじゅう)関係を結ぶような社会のしくみを封建制度といい,日本では鎌倉時代以降の武家社会で実施(じっし)されました。

 鎌倉幕府のもとでは,(みなもとの)頼朝(よりとも)家臣(かしん)となった武士を御家(ごけ)(にん)といい,頼朝は御家人の本来の領地(りょうち)を保証して,てがらに応じて守護(しゅご)地頭(じとう)任命(にんめい)し,新しい領地を与えました。これに対して,御家人は平時(へいじ)には交代(こうたい)で京都や鎌倉の警備(けいび)にあたり,戦時には将軍のために戦いました。このように,将軍に領地を保証されることを御恩(ごおん)といい,それに対して役目(やくめ)をはたしたり,戦時に,将軍のために命がけで戦うことを奉公(ほうこう)といいます。


守護(しゅご)

 1185年に国ごとに設置されました。有力御家人(ごけにん)(にん)じられ,諸国の軍事・警察などの仕事にあたりました。


地頭(じとう)

 1185年に諸国の公領や荘園(しょうえん)に設置され,土地管理・年貢徴収(ねんぐちょうしゅう)治安維持(ちあんいじ)などにあたりました。