地頭(じとう)に対する農民の訴え(「阿氐河荘片仮名言上状」) 地頭のきびしい取り立てと,(しょう)(えん)(りょう)(しゅ)と地頭による二重の支配に苦しむ農民のようすがうかがえます。

 地頭のなかには,その地位を利用して,農民から決められた以上の税を取りあげるものも多くいました。この資料は,1275年,紀伊(きい)国(和歌山県)の阿氐(あて)河荘(がわのしょう)上村(かみむら)の農民が,地頭湯浅(ゆあさ)氏の苛酷(かこく)支配(しはい)の実状を荘園領主(しょうえんりょうしゅ)に13か条にわたり(うった)えたものの一部です。農民は多くの負担(ふたん)をかけられたばかりか,地頭の指示に従わないと,「耳を切り,鼻をそぎ,(かみ)を切って…」などとおどされていました。荘園領主と地頭の両方から支配されていた農民の生活がうかがえます。


地頭(じとう)

 1185年に諸国の公領や荘園(しょうえん)に設置され,土地管理・年貢徴収(ねんぐちょうしゅう)治安維持(ちあんいじ)などにあたりました。