名越(なごえ)の切り通し 鎌倉と三浦(みうら)(むす)ぶ切り通しで,鎌倉を防衛(ぼうえい)する東の(かなめ)でした。三浦側には北条泰時(ほうじょうやすとき)が三浦氏に(そな)えて(きず)いたと伝えられる,(がけ)を利用した城壁(じょうへき)のようなものがみられます。

 三方を山で(かこ)まれた鎌倉には,外からの通路として切り開かれた七つの切り通しがありました(鎌倉七口(ななくち))。三方の山は(てき)侵入(しんにゅう)を防ぐ障壁(しょうへき)の役割をはたしているので,そこに開かれた通路にも交通路としての役目と敵を防御(ぼうぎょ)する役目とが必要でした。そのため切り通しは(せま)く曲がりくねり,鎌倉への入り口には木戸(きど)がつくられていました。

 西から東に向かって,極楽寺(ごくらくじ)(ざか)切り通し,大仏坂(だいぶつざか)切り通し,化粧坂(けわいざか)切り通し,亀谷坂(かめがやつざか)切り通し,巨福呂(こぶくろ)(ざか)切り通し,(あさ)比奈(ひな)(ざか)切り通し,名越(なごえ)切り通しの七つです。