鶴岡(つるがおか)八幡宮(はちまんぐう) 現在の社殿は,1624年に徳川秀忠(とくがわひでただ)により建てられたものです。

 1063年,(みなもとの)頼義(よりよし)前九年合戦(ぜんくねんかっせん)に勝って鎌倉にもどってきたとき,八幡神(はちまんしん)として応神(おうじん)天皇などを(まつ)る京都の石清水(いわしみず)八幡宮から,その八幡神を由比(ゆい)郷鶴岡に祭り,鶴岡若宮(わかみや)(由比若宮)とよびました。それ以後,源氏は戦いの神として八幡を祭るようになりました。

 1180年,(みなもとの)頼朝(よりとも)は海岸にあった八幡宮を山寄りの地に(うつ)し,八幡宮を平安京(へいあんきょう)内裏(だいり)に,八幡宮から南に走る若宮大路(おおじ)朱雀(すざく)大路(おおじ)に見立てて,鎌倉の街をつくりました。その建物が焼失したため,1191年,山の中腹(ちゅうふく)に,新しく社殿(しゃでん)を建てました。これが鶴岡八幡宮のはじまりです。鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の守護神でもあり,御家人(ごけにん)統率(とうそつ)にも大事な役割をはたしました。