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現在の称名寺(しょうみょうじ)境内(けいだい) 北条(ほうじょう)氏の滅亡(めつぼう)後,金沢(かなざわ)文庫(ぶんこ)金沢(かねさわ)北条氏の菩提寺(ぼだいじ)の称名寺によって管理されました。そして明治時代になって,伊藤(いとう)博文(ひろぶみ)らによって,称名寺の境内に図書館として再建されました。

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金沢(かなざわ)文庫(ぶんこ)蔵書(ぞうしょ) 金沢文庫にはさまざまな()(かん)の書が集められましたが,北条氏の滅亡(めつぼう)後,その多くが失われました。現在,旧金沢文庫本と判明(はんめい)しているものは54件380冊です。

 金沢文庫は,執権(しっけん)北条(ほうじょう)義時(よしとき)(まご)で,評定衆(ひょうじょうしゅう)をつとめた北条実時(さねとき)が,武蔵(むさし)金沢(かねさわ)(現在の神奈川県横浜市金沢区)の邸宅(ていたく)内につくった武家の文庫で,正式には「かねさわぶんこ」といいます。蔵書(ぞうしょ)の内容は政治・文学・歴史など,多岐(たき)にわたっていました。実時・顕時(あきとき)貞顕(さだあき)貞将(さだまさ)と,金沢北条氏4代にわたって,この事業は継続(けいぞく)されましたが,鎌倉幕府の滅亡(めつぼう)とともにおとろえました。その後は隣接(りんせつ)する称名寺(しょうみょうじ)によって管理(かんり)されましたが,のちの権力者たちによって,蔵書の多くが持ち出されてしまいました。1897年に伊藤(いとう)博文(ひろぶみ)らが図書館として金沢文庫を称名寺の境内に建てましたが,関東大震災(だいしんさい)破壊(はかい)されました。

 現在の金沢文庫は,1930年,神奈川県立金沢文庫として発足(ほっそく)し,1955年からは歴史博物館として運営(うんえい)されています。収蔵品(しゅうぞうひん)として,古書が約13,000点のほか,古文書(こもんじょ)・仏像・工芸品などが収蔵(しゅうぞう)され,公開されています。


評定衆(ひょうじょうしゅう)

 執権(しっけん)の政治上の顧問(こもん)として,北条泰時(ほうじょうやすとき)が1225年に創設(そうせつ)しました。評定衆は執権とともに,評定所において裁判(さいばん)政務(せいむ)合議(ごうぎ)裁決(さいけつ)しました。幕府の最高政治機関で,政所(まんどころ)および問注所(もんちゅうじょ)執事(しつじ)兼務(けんむ)しました。人員は15名程度(ていど)でした。


神奈川県立金沢文庫(かなざわぶんこ)

神奈川県横浜市金沢区金沢町142
TEL 045-701-9069